先日、てんかんを発症してから町医者にて「おそらくてんかんだろう」と診断されるまでの経緯をブログに残しましたが、今日はその続きを書こうと思います。
1話
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「てんかん1話」子供がてんかんと診断された日のこと
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この言葉を聞いたのが5月2日でした。
2023年のGWは幸か不幸か9連休(4月29日〜5月7日)でして、この言葉を先生から聞いたのがGWの中日にあたる5月2日です。
5月3日からは祝日で5月7日まではどこの病院も休みであるため、このモヤモヤした状態で残りのGWを過ごさなくてはいけないこととなってしまいました。。。
「5月8日になれば県内の最も大きい病院の一つに診てもらうことができる。そこにいけば最新設備が整っていて、すぐに原因がわかって息子に合う薬が見つかる」と、6日後に迎える大きな病院での診察を心の拠り所にするしかありませんでした。
親としては「1日でも早くてんかんを抑える薬を飲ませてやりたい」「発作が起こるたびに脳にダメージが加わってしまう・・・」「どうしてこんな時に病院は受け入れてくれないんだ・・・」こんなことばかり考えており、本当にマイナスのことばかりを考えてしまっていました。
親族と会話をしても「ネガティブでもポジティブでも結果は変わらない。前を向こう」と前向きな言葉をいろいろもらったものの、どうしても後ろ向きなことを考えてしまう・・・人間って脆い生き物なんだなぁ・・・と痛感しました。
ネットで調べてみてもネガティブな情報だらけ・・・
親の気持ちとは裏腹に、病院の診断後の待合室でも・・・そして帰りの車の中でも・・・顔の各パーツと上半身が左へ向いていってしまう発作(以後小発作とします)は何度も起きてしまうのでした・・・
5月2日深夜の大発作と救急車
5月2日、町医者の先生からの一言に胸を痛めながらも、5月8日の大きな病院への受診を心の拠り所に6日間乗り切ろう。そんな話を妻としながら夕飯を食べ、お風呂に入り寝かしつけ、そんないつもの日常を送っていました。
息子も眠ってくれて一安心し、ようやく夫婦のくつろぎ時間となり、妻と私も眠りにつきました。
が、、、
その明け方5時ごろ、、、
急に悪い予感・・・?で目を覚ますと・・・
「う・・・ゔ・・・・」という声・・・
ん・・・?隣から聞こえるぞ・・・
息子が白目で痙攣を起こしている・・・_?
しかも全身を震わせている・・・!?
ん・・・・終わらないぞ・・・?
小発作のときは10秒くらいなのに、、、
おわらない・・・20秒
おわらない・・・40秒
もう1分くらいたつ・・・・
「こ、これって、、、やばいやつ、、、5分超えちゃったら、かなりやばいんだよね?!?!?」と焦りまくる私と妻、、、
きゅ、、、きゅ、、、、救急車!!と携帯を握り、「110」とコール。
妻から、「110じゃない!!119!!」と大きな声、、、あ、、、11・・9だ・・・!!119!!!
電話で救急隊員の方へ状況を伝えていると、少しずつ意識が戻ってきた息子、、、
パニクり泣いている妻・・・・
これは現実なのか悪い夢なのか、、、そんなことを考えていました。
5月3日 イーケプラを処方される
そのまま救急隊員の方に迎えに来ていただき、もともと5月8日に入院する予定であった大きな病院とは別の病院で受け入れてもらえることになった息子。私も救急車に同乗しました。
そのころには発作も落ちつき、少しずついつも通りになってきた息子は「きゅうきゅうしゃだ!」と嬉しそうでした。親の私は顔面蒼白で「この先どうなってしまうんだ・・・?」と不安、不安、不安、、、、不安、、、とにかく不安でしょうがなかったです。
妻は下の子供(5ヶ月)の対応で家で待機していましたが、とにかく不安で仕方なかったため、私の両親にも病院に駆けつけてもらいました・・・それくらい心配で仕方がなかった・・・一人でいると心が潰れそうでした・・・
当直でいらっしゃった先生に状況を説明しながら診ていただくと、おそらくてんかんであろうという話をいただきました(私の内心⇨昨日町医者からも言われてるので、はよ薬下さい・・・それか入院・・・)。
また、先生からは「脳波やMRIをしっかりと撮った上で「てんかんの診断」を行い、その上で薬を処方するというのが本来の姿であるため、今回の段階では薬は処方できない。緊急時用に熱性痙攣でも使われるダイアップを処方します」との診断
私の内心は『うぉぉぉぉいいいい!!はよ薬くださいなぁぁぁぁ!!!』と言いたかったものの、
流石にそうは言えないので「小発作の頻度が急激に増えていること、発作が少しずつ悪化していること、5月8日まで時間が空いてしまうこと」の3点をお伝えし、緊急対応として、てんかんに処方される薬をいただく事が出来ないかを交渉しました。
救急車で運ばれるような状態でない、通常時の診察であればこんなことは絶対に言わない私ですが、自分の命より大切な息子の身体、命に関わる事であると素人でも感じたため、言わないとダメだ。そう思い発言しました。
先生もかなりその3点を気にしてくださり、緊急対応として「イーケプラ(小量)」を処方してくださることとなりました。
私たち家族としても、4月初旬から少しずつ状況が悪くなっていた息子の状態に対して、ようやく歯止めをする事ができる!ようやく前進する事ができるぞ!と、少しだけ前向きな気持ちになれた瞬間でした。
ただ、待合室にいるときも、薬の処方を待っている時も、何度も襲ってくる小発作。
薬がきっとなんとかしてくれる。そう信じるしかありませんでした。
先生からは「もしこの薬でも状況が変わらなければ、また連絡をください」と一言いただき、病院を後にしました。
この頃5月3日の朝10時ごろ。このときはその言葉を数時間後には活用させていただくことになるとは知る由もありませんでした。。。
5月3日昼 イーケプラ内服も止まらない発作
ヘルプに来てもらっていた祖父母に車に乗せてもらい、家に帰宅しました。
採血を頑張った息子に祖父母は「なんか買ってあげるよ!こんなに小さい身体で頑張ったもんね。」と優しい言葉。
早起きに加えて発作続きで疲れ気味だった息子の表情も明るくなりました。大好きなレゴをお願いし、その足でお弁当と一緒に買ってもらって帰るのでした。
るんるんで自宅の階段を登る息子に対し、薬が効いてくれるかが心配で全く落ち着かない私・・・階段の上で待つ妻の顔も私と同じ状態で、完全に疲れ切っているのがわかるくらい、焦燥していました。(妻のフォローができないくらい、私も同じ状態であるのでした・・・)
とにかく早く薬を飲ませてあげたかった私と妻は息子にお弁当を食べさせ、すぐに薬を内服させるのでした。
「どうにか発作が落ち着いてくれ・・・」
「効いてくれるのであれば、もうこのままゼロ回になるってことだよな・・・?」
とか、とにかくいろんな想いが頭の中で錯綜していました。(血中濃度が安定するまでに2〜3日はかかるため、すぐにそんな効果が得られるはずもないのですが・・・)
ご飯を食べた後、リビングでご機嫌にレゴで私と一緒に遊ぶ息子。(私も気持ちは心ここに在らずですが・・・)
それをダイニングテーブルで座りながら祈るように見つめる祖父母と妻。
5分、
10分、
30分、、、
1時間、、、
と過ぎていく時間、
そして緩む大人たちの緊張感・・・
1時間30分・・・・
「う・・・ゔ・・・・」
あ、、、起きてしまった・・・・
無情にもいつも通りの小発作が、何事もなかったように息子を襲ってきました・・・
さっと時計で時間を計る私・・・
結局、薬を飲む前と同じ頻度で発作は起きてしまいました。
5月3日はその状況に耐えたものの、少し頻度が増えてしまった状況から、5月4日の時点で救急車で運ばれた病院を再受診し、別の先生から「1日に10回程度の発作は普通の状態ではありません。入院することを提案させてください」と言葉をいただきました。
と頭の中で「入院」という言葉に対して様々な思いが駆け巡ったのを覚えています。
ヘルプで来てもらっていた義父とも相談した上で、後悔がない選択、として万が一の時にも対応ができる「入院」を私と妻は選択することとなりました。
5月4日〜7日、変わらない発作
ついに始まった入院生活(結局、私も付き添い入院となり息子との2人生活が始まったのでした)
入院はさせてもらえたものの、カレンダーではGW中ということもあり、入院患者に対しても担当医は常にいるわけではなく、当直の先生がいるのみ。そして担当医も神経科でもなければ小児科の先生、というのが現実でした。
つまり、この病院では5月4日〜8日朝の5日間で入院はできるものの、処方されたイーケプラを飲み続ける。あとは経過観察しかできないということを意味していたのです。
病院での息子との2人生活は楽しい反面、24時間体制で私が発作と向き合う必要がある。ということを意味しており、ご飯を食べている時から遊んでいる時、お風呂に入る時、そして寝ている間も気が休まらない時間が続きました。
そして、これまでは起きている時間を中心に起きていた発作が、寝ている時間帯にも2〜3回ほど起きてしまうようになりました。
少しずつ息子の体を蝕むてんかんが憎く、代われるものなら私が代わってやりたい、、、お金で解決できるものなら、全財産を失ってもいいからどうにか・・・と願う日々、、、そして看護師さんの前や息子の前でも急に涙が出てしまう・・・そんな苦しい状態が続きました。
入院できただけでもありがたかったものの、MRIや脳波など、できる限りのことはしておきたい。そんな思いで先生と何度か交渉をしてみましたが、基本的には「ここで検査をしても元々5月8日から入院予定の病院で再度撮るだろうから不要だと思われます」の一点張り・・・。
ただ、私としてはこの4日間、5日間の空いている時間に少しでも検査、治療を前進させておきたく、脳波だけでも撮っていただくこととなりました。(MIRは「急いで撮るものではないですからね」の一点張りでダメでした・・・
イーケプラの血中濃度の安定化が期待できる5月5日、6日になっても発作の症状が改善されることはなく、この病院では合計5日間入院生活を送りましたが、結局その間に息子の発作の症状は微増することとなってしまいました。
今となっては、この後続く入院生活の基礎知識(消灯時間、お風呂対応、ご飯対応、おもちゃ絵本の対応、看護師さんとの関わり方・・・)をこの病院で学ぶ事ができたこと。そして最初の一番不安な時間を先生、看護師さんの近くで過ごせたことは大きな意味があったと感じています。
(入院しているそのタイミングでは「何もこの病院はしてくれないじゃないか・・・」と自分本位な考えをしていました。。。)
私と妻はでなかなか治療が前進できないことに対して焦りを募らせていました。
そんな中、5月8日に控える紹介状の病院への外来受診を控えていることだけが救い。最新設備が揃う、県内随一のあの病院なら息子の病状も良くなるはず。それだけを心の支えに、首を長くしてその日を待っていました。
ただ、小児の大きな病院であり、長期の入院患者が多いことはすでに知っていたため、今の病院のようにすぐに入院できるのか?そして入院できない場合は治療の面でもすぐに前進できるか怪しい点が気がかりでした・・・。
5月8日 ようやく紹介状の病院へ外来受診、そして即入院
ついに迎えた5月8日。
5日間お世話になった病院を退院し、久しぶりに妻と再会できた息子。嬉しそうな妻に対して、何か恥ずかしそうにしている息子、これまで当たり前だった日常が目の前にあり、涙が出そうになったのを覚えています。
よく「失った時にこそ当たり前の日常のありがたみがわかる」なんて言葉がありますが、入院生活で非日常生活を送り、病気と向き合わなければいけない状態となった息子が、いつもの表情をしている瞬間を見た時は「これまでの日常」がどれだけ幸せだったかを痛感しました。
ようやく元々の紹介状先の病院を外来受診することができ、初めての先生に診てもらう事ができました。
(内心:よかったぁぁぁぁ。。。入院できるんだぁ・・・・。息子氏、夜一人でねれるかな・・・)
ということで、短期間での2つ目の病院への入院が決まり、ようやく治療へ明るい兆しが見えてきました。(結局この後、薬は合わない、発作頻度は爆増する魔の1ヶ月間が始まるわけですが。。。。)
続きはまた次回のブログで残そうと思います。