先日、てんかんと診断されるまでの話を1話に、
1話
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「てんかん1話」子供がてんかんと診断された日のこと
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診断された後すぐに夜中に全身強直の発作を発症し、入院するまでを2話に、
2話
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「てんかん2話」救急車で緊急搬送、入院生活のはじまり
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その後、2つ目の病院へ転院、検査に続く毎日と2剤(イーケプラ、ピムバット)が効かなかったところまでを3話に
3話
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「てんかん3話」薬を試す日々、難治性てんかんと診断されるまで
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そして4剤目でも効果がなく、静岡てんかんセンターへの転院が決まるところまでを4話に残してきました。
3話
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「てんかん4話」4剤で効果なし、静岡への転院決定
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今回は、1ヶ月お世話になったこども病院を退院するところから、静岡てんかんセンターへ転院するところまでを残そうと思います。
1ヶ月お世話になったこども病院を退院
かれこれ約1ヶ月間もの間お世話になった子供病院ですが、静岡てんかんセンターへの転院も決まり、遂に退院の日がやってきました。
6月6日、退院の日
静岡への入院が6月7日に決まりましたので、その前に、ということで6月6日に退院することとなりました。
仲良くなったみんなとのお別れ
1ヶ月も同じ病院に入院していると、息子も病室の子供たちや看護師の方々、そしてフロアの保育士の方々とも大変仲良くしてもらっていました。ですので、お別れの日当日は、少し寂しそうにしていました。
私たち親も妻と交代しながらではありますが、毎日7:00〜21:00の間病院におりましたので、明日からこの病院にこなくてよいというのが不思議な気分でした。
また、実習の学生の子も息子の担当についてくれていたのですが、わずか2週間くらいの付き合いにもかかわらず、別れ際に涙を流してくれました。
こういう心の温かい人が看護師になってくれるなんて、患者である我々はありがたい限りと思ったのを覚えています。
お守りがわりのブコラム
親の私たちは退院で感謝の心でいっぱい且つ、静岡への転院に向けて準備をどうするか、で頭がいっぱいでした。
発作自体もバロプロ酸ナトリウムで改善傾向だったこともあり、少し楽観的になっていたのですが、
先生から
と固いプラスチックに入った注射のようなものと、使い方が記載されたしっかりとした説明書をいただきました。
ということで、私たちはお守りを手に静岡への転院に臨むこととなりました。
久しぶりに吸う外の空気
息子は1ヶ月の間子供病院の1フロアの中しか行動をする事ができなかったため、1ヶ月ぶりに外に出る事ができたのです。
元気に見えるけど、少しやせてしまった背中
久しぶりに外に出る事ができた息子は、どこか「スキップ」しているような、本当に嬉しそうな顔をしていました。
迎えには私たち両親に加え、私の母(息子の祖母)も駆けつけてくれていましたが、祖母が大好きな息子は1ヶ月ぶりに会う祖母と照れくさそうに、でもとても嬉しそうに抱き合い、喜び、病室にいる時よりも少しだけ元気に見えました。
やはり、少し元気に見えたものの、実際は「てんかん」は息子の体を少しずつ蝕んでいるんだな、と実感した瞬間でした。
早く静岡に行って、できる限りの治療を施してあげたい。そう思いました。
自宅で一泊
およそ1ヶ月ぶりに自宅へ帰ってきた息子、どこか他人のお家にきたような、でもいつもの光景といつものおもちゃが目の前にあり、戸惑いながらも嬉しそうな顔をしていました。
遅くなった誕生日のお祝い
息子の誕生日は5月でしたが、ちょうど入院中で親としてお祝いができていなかったため、この日にお誕生日ケーキを買って誕生日会をすることにしました。
どこか病気が治ったような気がしてしまう1日
息子を抱っこしながら病院を出て車に乗り込む。
バックミラーを覗けばいつものチャイルドシートに息子がいる。
いつもの家に息子と一緒に帰る。
息子が大好きなケーキを誕生日の歌でお祝いしながら目の前で食べてくれる。
息子が大好きな料理を妻と一緒に作っている光景が目の前にある。
息子と一緒にお風呂に入るのはパパの役目。
布団に入ったら絵本を3冊読んでから寝る。
1ヶ月の間、非日常の空間にいたせいか、1ヶ月前まで当たり前に行っていた日常が目の前にあるだけで、どこか「病気が発症する前の日常に戻ったのか・・・?」と錯覚してしまうような感覚がありました。
発作もかなり減っていて、1日10〜20回で済むようになっていたのも大きかったです。
6月7日 静岡てんかんセンターへの転院
遂にやってきた静岡てんかんセンターへの転院当日。
朝10時に病院の窓口で入院受付です!と話をいただいていましたので、自宅をかなり早く出て、高速をかっ飛ばして向かうのでした。(案の定、車の中でも発作が4回起きつつ、なんとか乗り切りました)
皆さんに助けてもらった付き添い入院グッズ
これまでの入院生活は最初に5日ほど入院した病院は付き添いでしたが、1ヶ月いた子供病院は付き添いではありませんでした。
ですので、付き添い入院はほぼ初めてのような状態で、何が必要か、ネットで調べるしかなく、困っていたところにツイッターの仲間たちに助けられたのでした・・・!
上記のツイートをしたのち、多くの方に拡散していただき、速攻でAmazonでポチポチと購入したのを覚えています!!
特に助かったのはインフレーターマット!!静岡てんかんセンターで付き添いベッドを借りると1日500円(割引が効いて1ヶ月9000円とか)かかると教えていただき、マットがおすすめです!と効いてこちらもポチりました。
息子と遊ぶ時にも使えたりで大活躍のマットくんでした!
イメージ通りの病院、先生たち
そして遂に静岡てんかんセンターに到着し、すぐに担当の先生・看護師の方と面談をしましたが、すぐに「ここにきてよかった〜」と感じたのを覚えています。
というのも、入院していた病院からMRIや脳波、PET検査の結果などを持参して行ったのですが、MRIとPETの写真を見てすぐに
と、ひと目見ただけでキッパリ言ってくださったのです・・・!
と本音を言ってしまいましたが、
先生は
と答えてくださいました。
ほんとに「ここにきてよかった・・・!」と感じました。
てんかん患者の皆さん、静岡に来た方が良い!くるべき!!と今でも思っています。
そして、手術ができるか未知数だった我々の頭の中が「手術ができるかも!?」となったことで、一気に頭の中が前向きになっていきました。先生の一言って、本当にそれくらい大きな影響力がありますよね。
発作の状況
メモ
てんかんセンターへの転院をするタイミングで、バロプロ酸ナトリウムが一気に効いてくれているのを実感していたのがこのタイミングでした。
1週間の間に40〜50回起きていた発作は20回以下に半減しました。
そして、入院1日目で「手術ができるかも」と光が見えてきた事で、一気に目の前が明るく見えてきたのでした。
今回はこども病院の退院から、静岡てんかんセンターへの入院までを残してみました。
次回は静岡てんかんセンターでの入院生活について残してみようと思います。