大変お久しぶりでございます。
少し期間は空いてしまいましたが、前回の投稿から平和なときが流れ、ゆっくりと息子との生活を家族4人で過ごすことができました。
早いもので8月ももう終わり。6月に退院してから2ヶ月間の月日が流れ、早くも9月の手術に向けて再入院をするタイミングとなりました。
これまでこのブログには、初めて「てんかん」と診断されるまでの話を1話に、
1話
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「てんかん1話」子供がてんかんと診断された日のこと
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診断された後すぐに夜中に全身強直の発作を発症してしまい、入院するまでを2話に、
2話
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「てんかん2話」救急車で緊急搬送、入院生活のはじまり
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その後、2つ目の病院へ転院、検査に続く毎日と2剤(イーケプラ、ピムバット)が効かなかったところまでを3話に
3話
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「てんかん3話」薬を試す日々、難治性てんかんと診断されるまで
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そして4剤目まででも効果がなく、静岡てんかんセンターへの転院が決まるところまでを4話に残してきました。
4話
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「てんかん4話」4剤で効果なし、静岡への転院決定
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5話ではついに2つ目の病院を退院することになり、3つ目の病院「静岡てんかんセンター」へ入院するところまでを、
5話
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「てんかん5話」2つ目の病院退院、静岡てんかんセンター入院
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そして6話では最終的に静岡てんかんセンターで手術実施の方向で決定し、一時退院するところまでを残してきました。
5話
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「てんかん6話」静岡てんかんセンターでの2週間、そして一時退院
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今回は息子の脳外科手術を来週に控え、父である私はどういった気持ちでいるのか、何を考えているのかについて残してみたいと思います。
いま父が思うこととは・・・
息子が息子でいてくれるだけで幸せ
実は息子くんですが、前回の入院の際に「ADHD(多動症)」の疑い、「発達遅延の傾向(脳年齢1.5歳)」と診断されました。
息子はよく喋るし、お調子者だし、泣き虫だし、甘えん坊だけど、、、脳年齢は1.5歳・・・?多動症・・・!?と、、、感じ、うちの息子はそうではないと思うんですが・・・?と感じました。
と・・・
今思い返せば、勝手に親である私達が、息子は息子で変わらないはずなのに、「ADHD(多動症)」とか「発達遅延」とか、定常発達の子と比べてどうか、という点に変に縛られてしまっていたんです。
「可愛い息子」から、「発達遅延の息子」になる気がして、ホントは発達遅延の「かわいい息子」なだけで、何も変わらないのに。
今思えば、地元の病院や静岡の病院で様々な患者さんたちと知り合う中で、どんな難しい病気を持っていたって、親御さんは皆さん子どもたちのことを愛していらっしゃいました。
私達親子も、4人で共に24時間3カ月間過ごしていく中で、少しずつ病気と向き合い「息子は息子で変わらないんだ」という気持ちになれた気がします。病気があったってなかったって、あの時我が家を選んで産まれてきてくれた息子は息子なんだと。
そうだとしたって、そうじゃないとしたって、今のてんかんと向き合い、きっとこれからも3ヶ月に一度静岡に来て、この空気に触れる日常は変わらないですからね。
たとえ手術でなにかあったとしても、息子が息子でいてくれればいいんだ
でも何かあったときのことを考えてしまったりします。
きっと親なんてそんなもんですよね。
でも、なにかあったとしたって、息子は息子であって、何も変わらないと思ってます。いろんな病気と戦う子どもたち、親御たちを見ていくなかで目の前の事実を受け入れて前に進むことが必要だと思いました。
万が一、手術でなにか起きてしまったとしても、息子は息子。と、考えるようにしてます。
まぁいざ手術当日になったら心配で心配でしょうがないんだろうなぁ・・・
目の前の当たり前が一番幸せだったりする
5月に初めて診断されたとき、てんかんについて調べて「薬での完治は難しい」ということを知り、痙攣で苦しむ息子の病気は一生治らないんだ・・・と目の前が真っ暗になりました。
6月に状態が悪化し、10分おきに1分間の全身強直の発作が起きていたときは、どこまで底があるんだ・・・脳へのダメージ・・・発達遅延も?・・・とすべてを投げ出したくなりました。
でも今思うのは、その時々でできる最善策を実行し、うまくいくこともうまくいかないこともある。目の前のことに対して上を向いたって下を向いたって結果は変わらないということです。
5月だって近くの入院先に妻とチャリで毎日通い、息子の近くにいる。ただできるそれだけのことをひたすらに取り組みました。
そして6月だって薬が無理なら手術はどうか?と矛先を変えて次の入院先の調査、育休取得延長、とできる最善のことを取り組みました。
結局、いまとなっては息子は薬が効いてくれて発作自体は落ち着いてくれている。6月のあの時は考えられなかった日常が目の前にはあります。
そして目の前の当たり前にある日々に感謝して、毎日家族に感謝を伝えられることが一番幸せなんじゃないかと感じるようになりました。
今回の手術は親の決断、その決断を大人になった息子はどう思うのか
まだ息子は3歳です。今の状況を踏まえて手術をするべきか、それとも手術をせずに経過観察をするべきか、彼自身が判断することは勿論まだできません。
ですので、、、
そこで少し考えてしまうのが、将来息子は「この決断をどう感じるのか」ということです。
当然、手術でなにか起きてしまうリスクだって有るし、手術で発作が収まらず、やり損になるリスクだってある。
もしくは、しっかり発作がおさまって、息子がてんかんと診断される前と同じ状態に戻れるかもしれない可能性・メリットだってある。
息子が今の私達親の立場になったと置き換えて、リスクを取るような判断をするのは懸命だったのか、息子だったらどう判断すべきと考えるのか。
きっと大人になった息子はその息子(私の孫・・・💓)に姿を照らし合わせて、その決断についての良し悪し、決断の難しさについて思いを馳せてくれるでしょう・・・
少し考え方を変えて、働き盛りの父が半年間の育休を取って、キャリア的には少しネガティブかもそれないが、息子との時間を優先したことをどう感じるのか。(恩着せがましいかもしれませんが・・・笑)
今はまだ答えは出ませんが、息子が大きくなったときに話してみたいなぁ、なんて考えたりします。
息子に手術についてどう伝えているのか
闇雲に怖がらせたくはない。
手術が決まった時に、息子に対してどう説明をするか、どこまで話すべきかについて頭を悩ましました。
息子の性格を考えると、曖昧な伝え方をしてしまうと「それはな〜に?それはな〜に?」が始まってしまい、息子の頭に情報を入れすぎてしまうことになりかねず、必要以上に怖がらせてしまいかねないと考えました。
ですので、仕事のように「今起きてしまっている原因はXXXで、対策はXXX」とハッキリと伝えることにしました。
また、普段の会話の中で手術について話をしてしまうと、それが冗談でいっているのか?本当に起こることなのか?息子の頭の中で生理ができず、いざ本番となったときに嘘だと思っていた・・・とパニックになりかねない気もしました。
ですので、伝える際は「普段の会話とは分け、私と一対一で改まった話し方をしよう」と決めました。
伝え方は頭の中で上記のように決めたものの、いざ伝えようと思うとこちらも緊張してしまい、なかなか伝えるタイミングを掴む事ができずにいました。
結局、7月下旬の夕飯を食べたあと、息子と二人っきりになったタイミングで息子としっかりと向かい合って
と伝えました。
話を伝えると、息子は
と泣き出してしまいました・・・
私もそりゃ怖いよな・・・自分が息子の立場だったら同じことを言うわ・・・・と、、、
と抱きしめて言うしかありませんでした。(私も涙を堪えることしかできませんでした・・・)
正直、今でもあの伝え方が正解だったのかはわからないし、息子の頭でどう理解してくれているのかはわかりませんが、今では少しずつ自分の身体に何が起きているのか、伝えたことの意味も含めて理解をし始めてくれているような気がしています。
きっと、自分の身体で何かが起きていることは察している息子
手術のことを伝えたのは7月下旬のことでしたが、それ以来、たまに寝る前に「怖い怖い・・・」と泣くようになってしまいました。
改まって話をしたことで、冗談ではなくて事実なんだ、ということは理解してくれたものの、少し必要以上に怖がらせてしまったかもしれないと反省しています。。。
また、私が育休を取得して終日自宅にいる事もあって、親族が家に来てくれる機会も増えたのですが、どうしてもその際に息子もいる場で入院の話や手術の話を少しする必要がある場面があります。
ある日親族からの一言で気がついたのですが、息子はその話をしているときは遠くにいても遊んでいる手を止めて、こちらの話を聞いているのです。
育休に入って3ヶ月、家族と過ごす日々で感じること
息子には貴重な体験をさせてもらっている。
私は4月での異動も重なり朝6時すぎには自宅を出発、帰宅は23時ごろになるような仕事をしており、平日に子どもたちと会う事はなかなか難しい状態でした。
今は24時間、家族4人で過ごすことができており、これまでの人生で経験したことのない毎日の過ごし方をすることができています。
それ以外にも息子がてんかんになったことで、これまで経験できなかった貴重な経験を多くさせてもらっています。
私は元々、THE安定命、というような、波風を立てずに如何に平和に物事を済ませるかを考えるような人生を送ってきました。
何もなければ、
とよくあるパターンで育休は取らずに終わっていました。
ただ、今回息子の付き添い入院が必要だから、という理由で育休を取ることにしました。息子がいなければできなかった決断だと、今となってはありがたく思っています。
育休を取得できたことでこの数ヶ月間でいろんなところにも行けましたし、息子たちの成長を毎日間近で感じる事ができました。
特に、節約も兼ねてちょっとしたお出かけには妻がお弁当を作ってくれ、家族4人で車でおにぎりをかじりながら過ごした時間はかけがえのない時間だと感じています。
親族には遠慮なく「助けてもらう」こともできるようになった気がする
我が家は今では、息子の両家の祖父母も我が家も首都3県にあり、病院に通ったり少し手助けが必要なときはヘルプに来てもらうことができるような関係性を築くことができていると思います。
本当にお互いの両親には感謝しかありません。
発作が少し落ち着いた7月のタイミングで、私の母と「発作がおさまらなかった6月頭の父の様子」について母から聞いた事がありました。
妻の両親ともこの病気のこと、薬の効きや手術のことを話す中でこれまでの関係以上に関係が親密になる事ができたように感じます。
そうしたこともあり、これまで言えなかったような「少し妻が病院にいくから、その間だけヘルプにうちにきてくれるかな?」なんて一言をお互いの両親に伝えられるような関係性になったように思います。
手術の後、病気が根治したとしても、そうでなくなったとしても、今できたこの関係性は大切にしていきたいと思います。